「燃える闘魂」のキャッチフレーズで有名な元プロレスラーのアントニオ猪木さんが、心不全で亡くなられるという、大変悲しいニュースが日本中に届きました。
アントニオ猪木さんと言えば「猪木ボンバイエ!」の掛け声が印象的な、テーマソングを思い浮かべる方も多いかと思います。
あの「猪木ボンバイエ」を作曲した人は誰なのか、アナタはご存じでしょうか?
そしてあの曲に、歌詞ありの悲しいバージョンがあるって知っていましたか?
今回の記事では、あの元気が出る印象的な曲について、色々と紐解いていこうと思います。
まず猪木ボンバイエの作曲者が誰なのか?を解決して、さらに歌詞ありの悲しいバージョンについても紹介していきますね。
「何となく覚えてるけど誰だっけ?何だったっけ?」という感じのアナタも、是非この記事でスッキリしていって下さいね!(笑)
・・・それでは、どうぞ!!
猪木ボンバイエの作曲者って誰なの?
まずは気になるあの曲の作曲者を、サクッとお伝えします!
その次に、猪木ボンバイエの曲について一旦整理しながら、あの曲が誕生したいきさつを解説していきますね。
原曲の作曲者はマイケル・マッサーという人
「猪木ボンバイエ」の曲を作ったのは、マイケル・マッサーさんです。
彼はアメリカのシカゴ出身の作曲家で、ミュージシャンや音楽プロデューサーとしても活動されていて、残念ながら2015年7月に74歳で亡くなられています。
ホイットニー・ヒューストンやダイアナ・ロスといった、世界的大物歌手の曲を多数作曲された凄い方ですね!
猪木ボンバイエの曲が誕生したいきさつとは?
あの「猪木ボンバイエ」の曲が誕生したいきさつを語るために、順を追って経緯を整理してみますね!
☆猪木ボンバイエの曲が誕生した経緯について☆
- 1976年に行われた「格闘技世界一決定戦」で、ボクシングのヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリとアントニオ猪木が対戦した
- 翌年1977年に、モハメド・アリの伝記映画「アリ/ザ・グレイテスト」の挿入歌として「アリ・ボンバイエ1」(Ali Bombaye I)が発表された
- 対戦をきっかけに親友となったモハメド・アリが、アントニオ猪木に敬意を示して、この曲を贈った
- 同年1977年にアントニオ猪木の入場テーマ曲「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」として、曲をアレンジしたものが発売&使用されるようになった
異種格闘技戦としてボクシング対プロレスという話題の2人の対戦があって、それがキッカケで親友になるという素敵なエピソードがあったんですね。
(最近話題になった朝倉未来vsメイウェザーの先駆け的なイベントですかね?)
そしてモハメド・アリが自身の映画で使われた曲をアントニオ猪木に贈ったというのも微笑ましい話ですよね!
猪木ボンバイエの曲に歌詞ありの悲しいバージョンがある?
この章ではアントニオ猪木さんのリズミカルで印象的な例の入場テーマ曲の他に、実は歌詞ありの悲しいバージョンの曲も存在していた事に触れていきます。
さらに「猪木ボンバイエ」の曲にまつわる、ちょっとした豆知識なんかも紹介していきますね!
「いつも一緒に」歌は倍賞美津子さん
アントニオ猪木さんの試合前や登場前に流れて大盛り上がりになる例の曲を、大胆に再アレンジして歌詞をつけて歌われた、悲しいバージョンがこちらの曲。
「いつも一緒に」というタイトルで、当時の奥様である倍賞美津子さんが歌っておられます。
作詞は、なかにし礼さん(1938~2020)という大御所の作詞家&小説家さんですね。
当時はまだアナログレコード時代なので、A面とB面という概念があってですねぇ・・・(笑)
メイン曲「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」がA面で、カップリング曲としてB面に「いつも一緒に」が同じレコードに収録されていたんですね。
猪木ボンバイエその他の豆知識とは?
「猪木ボンバイエ」の正式な曲名など、この曲についてのちょっとした豆知識を、ここでご紹介しておきましょう!
☆猪木ボンバイエの豆知識☆
- 正式な曲名は「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」
- 「ボンバイエ」の語源はリンガラ語の「Boma ye(ボマ・イェ)」から来ている
- 「Boma ye(ボマ・イェ)」は「(奴を)やっちまえ!」という意味
- リンガラ語はアフリカのコンゴで話される言語
- かつてコンゴの首都キンシャサでモハメド・アリとジョージ・フォアマンが対戦した時に観客から「Boma ye(ボマ・イェ)」の掛け声があった事が由来
- 後に「燃える闘魂」のタイトルで吹奏楽向けのアレンジがされて高校野球の応援歌としても使用されている
おなじみの「イノキ!ボンバイエ!」の掛け声は「イノキ!(奴を)やっちまえ!」という意味だったんですね!
まとめ
ここまで「猪木ボンバイエ」の曲の作曲者が誰なのか?と、この曲に歌詞つきの悲しいバージョンが存在しているということを紹介してきました。
改めて順番にまとめていきましょう!
☆原曲の作曲者マイケル・マッサー(1941~2015)について☆
- 元ネタである「アリ・ボンバイエ1」(Ali Bombaye I)の作曲者
- アメリカのシカゴ出身の作曲家・音楽プロデューサー・ミュージシャン
- ホイットニーヒューストンやダイアナ・ロスなどの曲を作曲
続いては曲誕生のいきさつです。
☆猪木ボンバイエの曲が誕生した経緯について☆
- 1976年に行われた「格闘技世界一決定戦」で、ボクシングのヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリとアントニオ猪木が対戦した
- 翌年1977年に、モハメド・アリの伝記映画「アリ/ザ・グレイテスト」の挿入歌として「アリ・ボンバイエ1」(Ali Bombaye I)が発表された
- 対戦をきっかけに親友となったモハメド・アリが、アントニオ猪木に敬意を示して、この曲を贈った
- 同年1977年にアントニオ猪木の入場テーマ曲「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」として、曲をアレンジしたものが発売&使用されるようになった
そして、歌詞つきの悲しいバージョンの曲について。
☆歌詞つきの悲しいバージョン曲の正体とは?☆
- 「いつも一緒に」のタイトルで倍賞美津子さんが歌っている
- なかにし礼さん(1938~2020)が作詞を担当
- 当時アナログレコードのカップリング曲としてB面に収録
最後は「猪木ボンバイエ」の曲についての豆知識です。
☆猪木ボンバイエの豆知識☆
- 正式な曲名は「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」
- 「ボンバイエ」の語源はリンガラ語の「Boma ye(ボマ・イェ)」から来ている
- 「Boma ye(ボマ・イェ)」は「(奴を)やっちまえ!」という意味
- リンガラ語はアフリカのコンゴで話される言語
- かつてコンゴの首都キンシャサでモハメド・アリとジョージ・フォアマンが対戦した時に観客から「Boma ye(ボマ・イェ)」の掛け声があった事が由来
- 後に「燃える闘魂」のタイトルで吹奏楽向けのアレンジがされて高校野球の応援歌としても使用されている
作曲者が誰なのか?の答え「マイケル・マッサー」も、曲誕生の経緯も歌詞つきの悲しいバージョン曲「いつも一緒に」の事も、ボンバイエ!の意味「やっちまえ!」も全て紹介しました!
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
本当に最後になってしまいましたが、改めてアントニオ猪木さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
・・・いつまでも私たちのヒーローで居続けて下さることでしょう。
・・・それでは、次の機会にて!!